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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「トゥヤーの結婚」
優しく夫を慰めるかと思ったトゥヤーですが、一命を取り留めた夫に罵詈雑言を浴びせます。そして子供たちを抱きしめ、「家族の誰も死なせない!」と叫びます。ここで号泣する私。そうなのです。子供がいなければ、夫婦二人で死んでもいい。でも子供のために、そんな無様なことは出来ません。何としても生きなければ。トゥヤーのその気持ちを支えているのは、バータルが生きていてくれることなのです。例え離婚して夫ではなくなっても、トゥヤーにとってバータルは、大切な家族であることには変わりないのですから。

ボロルは離婚経験があり、今は大金持ちですが、浮き沈みのある人生を送って来た人です。お金で動く人の心の卑しさを、いやというほど見てきたはずなのに、ずっと想い続けてきたトゥヤーを我がものにしようとした時、彼が使ったのは、やはりお金でした。そのことで傷つき反省しているボロルの様子が映され、少しほっとします。

この一件で、ボロルとの結婚を断ったトゥヤーでしたが、ずっと近くでトゥヤーを見続けていたセンゲーは、尻軽女房とは別れるので、トゥヤーに結婚して欲しいと言います。もちろんバータルは自分を養うとも。人がいいばかりで甲斐性がなく、不実な妻の言いなりだったセンゲーですが、決してろくでなしなどではありません。それは近くにいた、トゥヤーが一番知っています。求婚を受け入れる彼女。その気持ちには、ボロルの時とは違う、夫のため子供のためというだけではなく、夫として愛して行ける人だと、彼女が思えたからだと思います。財力に左右されず、自分が愛して行ける人かどうかで再婚相手を選んだ彼女。そこに人としての誇りを感じました。

そして結婚式。様々な不安が襲い、人知れず涙する彼女。ずっと歩かないバータルが、一度だけ松葉杖をついて歩くシーンがありました。それまで半身不随だと思っていたのですが、男性機能は大丈夫なのでしょう。これからはトゥヤーは、子供たちだけではなく、バータルにとっても母となり、妻ではなくなります。男性として耐えがたい屈辱と同時に、妻子の幸せを願うバータルもいるはずです。

トゥヤーにしてもセンゲーにしても、これから愛を育んでいけば、それは二人にとって幸せでもあり、バータルに対して罪悪感も感じ続けるはず。この複雑な思いを抱き続け、この家族のお話は続くのです。それを表したトゥヤーの涙。しかし生きる事に誠実でたくましく、一生懸命な「三人の親」を持った二人の子供は、必ずやこれを糧に、立派に成長してくれるでしょう。

04月03日(木)
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