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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「VIVAH 〜結婚〜」
プーナムの主治医は、「この病院に運ばれる女性は、みんな夫に虐待された女性ばかり。こんな素晴らしい新朗の家族を観たことがない」と称え、叔父も「あなたのような人ばかりだったら、娘ばかり生まれては、家は破産するとは誰も言わない」と、感謝します。この辺まだまだ現代のインドの、有無を言わさないような、夫の側優位の夫婦関係や家族関係を正したい気持ちがあるのでしょう。理想の夫及びその家族というのを、この作品で描いていたのだと思いました。

そして叔母との和解です。結婚は両家の人々全てに祝福されてというが大事なんだと、観る人に教えていたようにも感じました。プーナムの美しさを嫉む叔母からは、まだまだ地方では女性の出世は玉の輿だけとも感じ、欧米社会と遜色なく働くプレムの会社の女性たちとの対比にもなっており、解放された都会、因習深き地方との対比にもなっていました。

そして顔こそ無事でしたが、体にやけど跡が残ると宣言されるプーナム。彼女が自分の美しさだけに溺れ、それだけの女性だったなら、容姿に傷がついた今、プレムの心は揺れたのではないでしょうか?やっぱり人間は心なのよ!とも言いたいのでしょう。

この一連の新郎側の懐深き行動に私は感激し、不覚にも涙(いやほんまに)。大昔ドキュメントで、結婚直前の女性が事故に遭い、車いす生活を強いられながらも花嫁となり、新婚生活を送るまでを映すシリーズがありました。事故直後、悲嘆にくれ、別れてくれ、死にたいともらす彼女に恋人は、「リハビリを頑張ろう。それでだめなら一緒に死ねばいい」との言葉をかけます。故郷大阪は離れ、彼の住む東京の病院に転院して、懸命にリハビリに励む彼女。何気なく美談だと素直に思って観ていた私ですが、このドキュメントが脳裏をよぎりました。

長年大切に育てた息子が恋人と一緒に死ぬと言ったり、娘が恋人の傍の方がリハビリに励めると転院したりと、その時の二方の親御さんたちのいいようのない寂しさが、自分の子供が年頃になった今、私には理解出来るのです。子どもが人生の一大事の時に、支える相手として選んだのは、親ではなく愛する人でした。しかしその真っ当な思いは、本来親として喜ぶべきものでしょう。自分たちの寂しさを押し殺し、子どもを支えた親御さんたちは、本当に偉かったのだなと、この作品を観て思い出しました。当然結婚生活は同居でしたが、新朗のお母様は、「息子が選んだお嫁さんですもの。私も愛して大切にします」と、いっしょに介護にあたられていて、その姿がプレムの家族とだぶりました。この作品、息子三人の私には、とても意義のある鑑賞でした。

11月27日(火)
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