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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ダーウィンの悪夢」(布施ラインシネマ・ワンコインセレクション)
他にも欧米からナイルバーチを運ぶためやってくるパイロットたちに売春している若い女性が出てきてインタビューに答えますが、ここも自然な感じには受けませんでした。彼女はそののち客のオーストラリア人に殺されたと、同僚の娼婦たちから語られます。本当か?ならどうして「弔いに行った」と語る女性がいるのに、その様子を映さないのか?本当ならドキュメントとして詰めが甘いし、やらせなら演出が雑です。加工工場の社長は現地の人と顔つきが違い、中東の人にように見えました。私の感じる通りなら、掘り下げることはたくさんあると思います。

他にも何やら怪しげなものを嗅ぎながら煙草を吸う、年端の行かない子どもを映すのですが、それも悲惨さを煽るだけ。だから監督はどうしたいの?観客はどうすればいいの?かなり監督の意図の入った演出の割にはアフリカの悲惨な状況が垣間見えるだけで(それも以前から知っている)、その先の明確な作り手の意図は伝わってはきません。

テレビのドキュメントで、世界中の学校に行けない子どもたちを定期的に映す番組があります。ある子は5歳でカカオ取り、ある子は10歳で鉱山で穴掘り。もちろん学校へは行けません。幼いので母の喜ぶ顔が見たい一心というのが本当のところなんでしょうが、番組は彼らが自分の手で稼いだ金で家族を養っているという、子どもなりの誇りと自負を認めています。あるストリートチルドレンの少女は13歳で出産。翌年も父親の違う子を産みます。この状況で絶望する気持ちを必死で抑え、「今まで家族がなかったんだもの。私はもう一人じゃないわ。私はお母さんなんだもの。頑張るわ。」と語る幼い母を映すとき、作り手の彼女へのエールが感じられます。

この番組はお涙ちょうだいかも知れません。しかし作り手の彼らへの「何とか子供たちの役に立ちたい」と言う感情を感じるのです。それは映される側にも通じるものではないでしょうか?そういう「何とかしたい」という気持ちが、この作品からはあまり伝わってはこないのです。センセーショナルな事実を羅列しているだけでは、ジャーナリズムとしての役割には、少し物足らない気がします。

それにしても「ナイロビの蜂」や「ブラッド・ダイヤモンド」などで、盛んに描かれる欧米諸国や他の国の食い物のようにされているアフリカ。自分は何をどすればいいのかわからない時、本当に無力を感じます。上に書いた番組などでは(他の番組かも)、確か案内の番号へ電話すれば、それだけで少額の寄付になる制度を設けていました。何もしないよりまし、偽善者かも知れませんが、それしか思い浮かばないダメな私です。

07月18日(水)
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