ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[928020hit]
■「ゆれる」
抱かれたことで一気に昔に戻れたかに錯覚した智恵子は、猛にいっしょに東京を連れて行ってとねだります。まだ若く美しいのに、妙に老けた彼女が背負っていたものは、母親との二人暮しだったでしょう。そのため猛が東京に出るときの誘いを断ったのだと、私は思いました。母を一人に出来なかった、なのに母はあっさり再婚し、自分と離れて再婚相手とその連れ子と暮らしている。しかも女の子。母に裏切られた感情が、彼女をくすませていると感じました。しかし彼女が背負っていたものは、家ではなく家庭だったのでしょう。だから母さえいなければ、あっさり故郷など捨てられるのです。
「嫌われ松子の一生」の感想で、「縁は切っても血は切れない」と書きましたが、女は家庭から逃れられないことがあっても、家から逃れることは出来るのです。しかし男は、例えどんなに自分の家が嫌いでも、逃げられない辛さがあるのだと思います。奇しくも「松子」でもそれを体現した弟を演じていたのは、香川照之でした。
稔に有利な裁判になるように奔走する猛は、今までの不義理や後ろ暗さを一気に挽回しようとするかのように見えます。それは稔のいう「殺人者の弟になるのがいやなのだろう」という気持ちではなく、真実兄を慕う気持ちがあるように思えました。弟が兄の気持ちに寄り添うようになると、今度は見た事もない、自分に対する憎悪に包まれた兄の姿が現れる。私の育った家は、複雑かつ家庭のあちこちに地雷が埋められているような家で、私も二人の兄がおり、この感覚は理解出来ました。
猛が母の残した8ミリを独りで観ていると、自分は記憶になかったあの渓谷で、家族が楽しく遊ぶ姿がありました。兄は自分をかばい、大嫌いな父は自分たちと楽しそうにおどけている。ガソリンの臭いに詰まった家に、死ぬまで押し込められていたと思っていた母は、この上なく美しい笑顔見せている。人の記憶は、その後にあったことで印象も変わり、観方も変わるのだと感じました。自分が証言したあの事実は、自分が兄への疑心暗鬼で作り上げたものなのではないか?その後に挿入される稔の腕の引っ掻き傷は、確かに事件当初もありました。
そして同じように育ったはずの兄弟でも、立場によって微妙に親に対する見方が違うのです。8ミリの風景を全て覚えていた稔は、辛さだけではなかった母、未だに二層式の洗濯機を使い、家政婦も頼まなかった吝嗇な父にも、自分たち兄弟へのしっかりした愛情を感じていたはずです。知恵子の母に渡したお金が、父親の稔への愛情を感じさせました。それが一層彼を家から離れがたくしたはずです。
家を背負った男を支えるのは、やはり女の仕事なのだと、母の撮った8ミリに涙を流す猛を見て思いました。稔にとっては、その支えは智恵子だったのでしょう。それを奪ったのが弟の猛だったことが悲劇でした。弟でなければ、あの事件は起こっていなかったと思いました。
法廷で思いもよらない証言をする猛ですが、そのことは本当の意味で、稔を家から解放したのではないでしょうか?涙ながらに「兄ちゃん!家に帰ろう!」と絶叫する猛に向けた、ラストの兄らしい暖かい稔の笑顔に、そう感じました。兄弟の「ゆれる」感情を、時には露悪的に、時には情緒深く最後の最後まで見せてくれた傑作でした。主役二人は素晴らしい演技で、きっと数多い彼等の代表作の中でも、ピカイチの作品になるかと思います。そして女性の西川監督が、姉妹ではなく兄弟の心のひだを、ここまで丹念に撮れるのかと驚愕。「蛇イチゴ」もビデオで是非観ようと思いました。
上映していたリーブルの近くの会社に長男が勤めています。スカイビルを出て、パソコンの前で製図しているはずの長男のいるビルを見ながら、晩ご飯の用意がなければ、このまま息子を待って、梅田でいっしょに二人だけでご飯を食べて帰りたいなと、ふと思いました。母親と二人で食事なんて、息子はいやかな?
08月03日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る