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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「力道山」
最後まで力道山のマネージャーを勤める吉町(萩原聖人)は、血の気の多い破天荒な力道山に、穏やかで協調性を重んじる自分には無い、男としての憧れがあったのではと感じました。その気持ちが、自分の子供のバースデーカードに書いた文章に表れていました。力道山にしても、学習能力のない自分を支える吉町にすまないと思いつつ、彼もまた吉町がそばにいてくれることに、自分を委ねることが出来る、得難い開放感があったかと思います。

そんな自分を心から愛する人々の気持ちを、何故力道山は踏みにじり、自分をもズタズタに傷つけたのか?ひとえに朝鮮人であることを、ひた隠しにしていたからではないでしょうか?彼が朝鮮人であることは、現役時代は知られてはいなかったはずです。日本で差別され渡米した彼は、帰国してから洋館に住みベッドで眠っていました。スープとパンのディナーを食べ、朝鮮語を話す友人などいないと、自分から一切の故郷のしがらみを取り去っても、故郷の家庭料理を隠れて食べ、夢に出てくる母を恋しく思う気持ちはどうにもならない。意識して日本の習慣から逃れ、自分は朝鮮人でも日本人でもなく、世界人だと言いながら、逃れても逃れても追ってくる朝鮮人の自分の血。本来なら自分を差別しただろう人々の熱い応援は、「負けられない力道山」を彼の心に棲みつかせたのではないかと感じました。男としての、朝鮮人としての、バカバカしくも愚直で純粋なプライドを貫いた力道山の幕引きが、あのような形であったことは、私は彼に似つかわしかったように思います。

韓国で在日の心が掬い取られることはめったになく、このように丁寧に日本で成功した在日の作品が作られたことに、私は嬉しく思いました。エンディングでフィクションだと但し書きがあるように、この作品は単なるプロレスのヒーロー物ではなく、一人の成功した在日の、強烈な自我の奥の孤独が描きたかったのではないかと思います。なるほど、日本の人にはイマイチ芳しくないのも肯けますが、私のような同じ立場の者には、忘れられない作品となりました。

03月30日(木)
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