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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「欲望」
ただそれにがんじがらめになると、返って自分を追い込むことになるのかもしれません。「二人は似ている」と類子に思わす袴田と正巳。自分の美意識を守りたいあまり、素直に自分の心が表せず、自ら孤独に追い込んでいる節があります。彼らの敵対心は、近親憎悪みたいなものでは?そんな彼らが、自分に正直で教養何するものぞの阿沙緒を愛したのは、彼女の姿に憧れもあったのかもしれません。特に不器用にしか阿沙緒を愛せなかった袴田には、妻が自分に見合った女性になって欲しいと、ありのままの阿沙緒を受けれいれられないその思いの意外な若さは、年齢差を考えれば幼稚なように思えます。演じる津川雅彦は中年期に映画やドラマで数々の渡辺淳一作品に出演、渡辺淳一の情痴小説に漂う「男ってバカだなぁ」(←褒めてます)を、体現化していた人なので、俗っぽい雰囲気と美意識にがんじがらめがマッチしていて、さすがの適役でした。
村上淳は、類子の「この美しい男とひとつになりたい」というほどには美しい男性に見えず、耽美的な三島文学を愛しインテリチックな内面と、今は造園という力仕事にギャップを感じなければいけない人に思えたのですが、私には「美しい男」にも「知的な男」にも見えなかったのが残念。数々の印象的なセリフは、多分原作から多用されていると思うのですが、彼から発せられると少々空虚に感じられるのが残念でした。しかし不能の男性の性的欲望という難しい役を演じて、演技自体は健闘していたと思います。
脚本が男女二人が担当(大森寿美男、川崎いづみ)しているので、男女の性の違いが、異性にもわかりやすく描かれています。二人目が出来たばかりで、類子からその最中に「お乳くさい」と言われて役に立たなくなった能勢の描写など、絶妙でした。男親から乳臭いことなどあまりないので、これは類子の皮肉なのでしょう。類子のように心ある女性が、本当に体だけの関係であるとは考えにくく、彼女がそう思いたいのだというのが、チラっと感じられました。セックスは出来なくても、阿沙緒に憧れながらも、愛するのは類子だという正巳。なんとなくセックスレスの夫婦のようではありませんか?
正巳との再会で能勢とは別れる類子に、同性の私は納得出来ます。たとえ抱かれることがなくても、私も正巳を選ぶでしょう。「裸で抱き合って眠りましょう」。愛する人とならそれはセックスそのものより、女性にとっては価値のあるものだと私も思うのです。しかし正巳の選択は、そうではありませんでした。それは彼の類子への思いやりか、それとも彼の男性としてのプライドか、ひょっとして阿沙緒への断ち切れぬ思いか、それは私にはわかりません。彼自身を使わずに絶頂へと導かれることで、嬉しさの涙を流した類子と共に泣いた私は、男と女の性の意識の壁はやはりあるのだなぁと感じました。
少し長く2時間15分の作品ですが、ラストのラストまで見事なまでに類子という女性を通じて、人を愛する痛切さを意味を感じさせてくれる作品です。原作者が試写で泣いたというのは、リップサービスではないと思います。
01月12日(木)
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