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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ミリオンダラー・ベイビー」
イギリスチャンピオンの汚い反則で、マギーはふいうちのパンチを食らい、頚椎と脊髄を損傷し、首から下が麻痺します。医者からの宣告を聞いた彼女は「フランキーがこれを聞いて立ち直れるかどうか。彼の期待に添えなくて申し訳ない」。自分の体よりまずフランクの気持ちをおもんばかる彼女。これが娘の心でなくてなんでしょう。しかし「フランクが立ち直れるかどうか。」というのは、冷静に彼は自分のことを愛弟子であっても、娘同様には思っていないと分をわきまえているのです。だからもうボクシングの出来ない自分に落胆するだろうと。このけなげさ、聡明さに私は涙が止まらず。

しかし対するフランキーは、「お前のせいだ、お前があの子の面倒を見ろといったんだ!」とスクラップに逆恨みめいたことを言います。決してフランキーが理不尽なことを言うわけのない人だと知る観客は、ボクサーとしてではなく、マギー・フィッツジェラルドのこれからの人生をはかなんでの動揺だとわかります。しかしろくでなしのマギーの家族の前では、一歩も二歩も下がります。彼もまた父に重ねられても、マギーにとっては良いトレーナー以上には思われていないと思っているようです。

床ずれからの壊疽のため、マギーは足を切断します。微かな奇跡の望みを持っていた彼女は、これでボクサーとしての再起の夢を絶たれ、フランキーに安楽死を頼みます。ボクサーとして死んでしまった自分を、師の彼ならわかってくれると思ったのでしょう。悩みながらも応じるフランキー。しかしこれはトレーナーとしてだからではありません。フランキーは実の娘と彼のせいで長く確執があり音信不通です。そのため23年間反発しながらもミサに通っています。安楽死に手を貸すなど大罪だとわかっているでしょう。これは自分にとって実の娘以上になったマギーの願いを叶えることが出来るなら、地獄に落ちてもいいという、「父親」の思いではなかったのか?

安楽死の場面で、「モ・クシュラ」の意味をマギーに話すフランキー。その意味は「私の可愛い子、私の血」でした。聡明なマギーの心にはまた申し訳なさがたったでしょう。娘と思ってくれる人になんて事を頼んだのと。「海を飛ぶ夢」のラモンは、決して父の前では死にたいと言いませんでした。やっとお互いの本当の心が通じ合えた二人のキスシーンに、私はまた号泣。

そういうシーンは挿入されていませんが、フランキーは自らの命を絶ったのではと思います。自殺もまた大罪。二つの罪を犯すことで、フランキーは安楽死という自殺を望んだマギーの罪も背負いたかったのではないでしょうか?ミリオンダラー・ベイビーとは、タイトルマッチのファイトマネーが100万ドルという意味でしょうが、フランキーにとっては、マギーは100万ドル以上に輝く「俺の娘」だったのではないでしょうか?











ネタバレ終了

その他モーガン・フリーマンと言う俳優は、彼が目を凝らして見るだけで、それだけで意味のあるシーンになるという、ほとんど神様のような存在なのだと再確認できるし、フランキーの元を離れるウィリーには妻子の存在をちらつかせ、彼が成功を急ぐ姿に情けを与えます。悪役女性ボクサーにも、娼婦あがりという、二度と元の仕事にはもどりたくないのであろうと、観客が彼女を憎む心をちょっぴりひるませる隙を与えています。そしてジムのお荷物デンジャーの姿が、切なく辛い物語に光明を射します。私には完璧な脚本の完璧な演出の作品。オスカー受賞作でこれだけ感激したのは、「アメリカン・ビューティー」以来のような気がします。どうぞ皆さん、是非是非ご覧になって下さい。

05月30日(月)
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