ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[928997hit]
■「清作の妻」(日本映画専門チャンネル)
お兼は清作にそばにいて欲しかったから両目を潰したのではありません。周りからは認められない名ばかりの妻でも、自分を差し置いて、出征のための身支度を母や妹に手伝わせる無自覚な残酷さをみせる清作が、「もう2度とみなの顔を見られないかもしれない。」とつぶやくのを立ち聞きしたからです。恋しい男が死を覚悟して出征していく、その気持ちに耐えられなかったのです。清作がどんな姿であろうと、生きていて欲しかったのです。
お兼は2年の刑期を言い渡され、清作はお兼と謀って兵役逃れをしたと村中から思われ、英雄が一転、卑怯者として扱われます。ここにも清作に対しての嫉妬を、都合よく自分たちで解釈して爆発させる怖さを感じます。お兼に対して憎悪を募らせる清作。
2年の刑期を終え清作に会いに帰ったお兼は、どんな目に遭わされてもいい、償いに殺してくれと清作に懇願します。すると清作は、「よう帰ってきてくれた。俺にはお前しかいない。」とお兼を抱きしめます。お兼と同じの孤立したひとりぼっちの立場になり、今までの自分の偽善や傲慢さに気づき、お兼の今までの辛さが身に染みて理解出来たと話すのです。ここで私は号泣が止まらず。両目を失なった清作は、心の目が開いたのです。人からはお兼は、将来を嘱望された青年を、あばずれ女の自分にお似合いなよう、社会から突き落としたように見えたでしょう。しかし魔性の女に見えるお兼は、実は清作には菩薩だったのです。お兼のしたことは、決して肯定されるものではありませんが、心からお互いを理解し求め合う二人の抱擁に、私は崇高さを感じずにはいられませんでした。
人からは地獄に落ちた男女に見えることでしょう。しかしラストシーンで、清作の手を引き一緒に田に出たお兼が、夫の見えない目に見守られながら、一心に田を耕す姿に、その言葉から連想する甘美さやただれた肉欲、辛い行く末は感じられず、力強く爽やかな、そして穏やかな暮らしを予感させるものでした。情念の塊のような狂おしいお兼を見せ続けられ、こんなカタルシスと癒しを感じさせられるとは、思ってもいませんでした。そんなに数は観ていませんが、私には一番好きで感動した増村作品です。この日記をお読みになって興味を持った方は、是非是非一度ご覧下さい。
08月03日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る